神様の御導きに従って永遠の幸福を生きる

神様の御導きのもと皆様が永遠の幸福へと誘われますように…

わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。

 

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聖書やコーランには

真理が書かれています。

しかし、聖書に関しては、

改編されてしまった部分も

あるようです。

 

また、キリスト教の神である

イエス・キリストは預言者です。

イエス・キリストを神と崇めると

本当の神様に激怒されてしまいます。

そのことは、コーランに書かれています。

(記事の最後にコーランの引用を掲載しています。)

 

私たちには

わからないことがたくさんあります。

どんなになんでもわかっているつもりでも

間違ったことを教えられて

それを信じて生きている場合があります。

 

正しいと信じて行ったことが

実は間違いだったということがあります。

善い行いをしているつもりが

罪を犯してしまう場合もあります。

 

ですから、常に謙虚に生きなければ

いけないのだと思います。

 

 

詩篇 第19篇

第19篇[編集]

1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。

2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。

3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、

4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。

5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。

6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。

7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。

8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。

11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。

12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。

13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。

14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。

 

出典:詩篇(口語訳) - Wikisource

 

 

自分の判断だけでは、

神様の御心にかなった”正しい道”が

どういうものなのかが

分からないことがあります。

 

人の心は完璧ではないので、

この世の惑わしにも

簡単に流されてしまいます。

 

私たち人間の力だけでは、

完璧な善を行うことなど、

難しいのだと思います。

 

だからこそ、謙虚になって、

自分の目には見えない隠れた咎を

どうか許してくださいと、

神様に御祈りしながら生きてゆく

慎重さが必要なのだと思います。

 

それほどまでに、この世には、

神様の基準にあった正しい人間など

いないのだと思います。

 

 

神様の御導きのもと、皆様が永遠の幸福へと誘われますように・・・

 

 

 

 

 

(ご参考)コーランのイエス・キリストに関する記述箇所は以下の通りです。

コーラン第9章 タウバ章 悔悟

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

第30節

وَقَالَتِ الْيَهُودُ عُزَيْرٌ ابْنُ اللَّهِ وَقَالَتِ النَّصَارَى الْمَسِيحُ ابْنُ اللَّهِ ذَلِكَ قَوْلُهُمْ بِأَفْوَاهِهِمْ يُضَاهِئُونَ قَوْلَ الَّذِينَ كَفَرُوا مِنْ قَبْلُ قَاتَلَهُمُ اللَّهُ أَنَّى يُؤْفَكُونَ

ユダヤ教徒は、オザイルを神の子であると言い、キリスト教徒は、イエス・キリストが神の子であると言った。これは彼らが口にした言葉であり、それ以前の不信心者の言葉によく似ている。神が彼らを殺すように。どうしたら真理に背を向けられるというのだろうか」 (9:30)

この節は、啓典の民の誤った迷信的な信条について述べようとしています。彼らは唯一の神を信じていないとした前の節に続き、この節はこう語っています。「一部のユダヤ教徒は、神の命により、100年ののちに再び生き返ったオザイルという名の預言者を、神の子と見なしていた。キリスト教徒たちも、夫のいない母親から生まれたイエスキリストを、神の子と見なしている。こうした彼らの言葉は、天使を神の娘と見なし、神に子があるとした多神教徒や不信心者の信条によく似たものである。このような多神教徒や不信心者の中傷は、神を激怒させた。その結果、神は彼らを死へと招き、こう言った。『このような不当な中傷を神の神聖な性質に浴びせるとは、神がそのような輩を殺すだろう』」

第30節の教え

・預言者や宗教指導者など、宗教の偉人たちについて誇張し、彼らが人間の域を超えているように見せてはなりません。彼らはどんなに優れていても人間であり、神の子ではありません。

・迷信は、啓示宗教にとって危険の最たるものですが、残念なことに、ユダヤ教とキリスト教の啓典は、それに陥ってしまっています。

・迷信と闘うことは、宗教の偉人の最大の責務であり、そうすることによって神の宗教が汚されないようにするのです。

 

出典:光の彼方への旅立ち - Pars Today

 

コーラン第19章 マルヤム章 マリア 第88節~第92節

 

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

88節~第89節

وَقَالُوا اتَّخَذَ الرَّحْمَنُ وَلَدًا

لَقَدْ جِئْتُمْ شَيْئًا إِدًّا

多神教徒たちは言った。『慈悲深い神は子を設けた』 本当に彼らは醜い言葉を発した (19:88~89)

 

興味深いのは、イスラム以前の宗教にも、逸脱した考え方が広まっており、コーランの節によれば、ユダヤ教徒は、預言者オザイルを神の子と見なし、キリスト教徒も、預言者イーサーを神の子と見なしていました。それは、それ以前の宗教に逸脱があったことの証拠です。コーランは、こうした考え方を強く否定し、このように語っています。「彼らが神に関連付け、口にするそのような考え方は、醜く誤ったものである」

 

88節~第89節の教え

誰かを神の子だとするのは、たとえそれが神の預言者であったとしても、神に対する深刻な冒涜、中傷です。なぜなら、創造主と創造物の関係は、父と子の関係ではありえないからです。

神に子がいると信じるのは、実際、多神教信仰であり、唯一神の信仰を外れたものです。

  

90節~第92節

تَكَادُ السَّمَاوَاتُ يَتَفَطَّرْنَ مِنْهُ وَتَنْشَقُّ الْأَرْضُ وَتَخِرُّ الْجِبَالُ هَدًّا

أَنْ دَعَوْا لِلرَّحْمَنِ وَلَدًا

وَمَا يَنْبَغِي لِلرَّحْمَنِ أَنْ يَتَّخِذَ وَلَدًا

「この[多神教徒の]誤った醜い言葉により、まもなく天は崩れ、大地が裂け、山々が崩れ落ちようとする。それは彼らが、神に子があるとしたためである。子を設けるなどとは、慈悲深い神にふさわしくないことである」 (19:90~92)

 

創造世界は、唯一神信仰に基づいて築かれており、神に子がいるという主張は、神の唯一性に矛盾する、誤ったものです。そのためこの3つの節は、次のように語っています。「どうやら天と地は、このような多神教に穢れた考え方により、崩壊と落下の危機にあるようだ」

言い換えれば、神に別の神を配することは非常に重大なことであり、天も大地も、それに耐える力はありません。それなのに、多神教を信じる人間は、そのような愚かで醜いことを口にさえします。しかし、原則的に神が子供を持つことは、優れていることを示すのではなく、神の地位を低くすることになります。なぜなら、神が創造したものが、その子であるとされるからです。

 

90節~第92節の教え

・罪を犯せば、たとえ神がそれを妨げたとしても、創造世界の秩序が崩れる可能性があります。コーランの別の節にあるように、コーランが山に下されていたら、神の威信により、山は粉々になっていたでしょう。

・多神教信仰は、創造世界において、最も危険な堕落であり、魂のない自然でさえも、それに対して反応を示します。

・子供を持つためには、配偶者が必要です。しかし、誰も神と同等のものはいません。そのため神が配偶者を持ち、子供をもうけることはないのです。

 

出典:光の彼方への旅立ち - Pars Today